映画徒然日記Vol.28 「3月のライオン」
「3月のライオン」(2017・日本)
監督 大友啓史
原作 羽海野チカ
キャスト 神木隆之介、有村架純、倉科カナ、染谷将太、伊藤英明、佐々木蔵之介、豊川悦司
出てくるキャラクターは、みんな将棋に人生をかけている。
自分には、将棋しかないのだと将棋に人生をかけて、将棋の駒に人生を狂わされたキャラクターが多く出てくる。
主人公の桐山もその1人。
複雑な環境で育ち将棋に取り憑かれながらも、将棋仲間や近所に住む同級生家族、そして義理の父に励まされながら、将棋で人生を登り詰めていく桐山。
筆者は、将棋には詳しく無いがプロの将棋の世界を垣間見ながら、将棋だけではないが勝負の世界は恐ろしい物だと思わされた。
あまり、関係ないが岩松了が「きりやま」と言うたびに、テレビドラマ「時効警察」の時効管理係長の熊本を連想してしまう・・・笑
漫画原作なので、仕方のない事なのかもしれないが、細かい部分がとにかく雑なのだ。
例えば、桐山が将棋仲間に酒を飲まされ(自分からか?)酔い潰れている所を倉科カナ演じるあかりに介抱され、翌日目が覚めるとあかりの家で目を覚ます。
あかりは、三人姉妹で次女のひなたは桐山と同級生。
朝から遅刻してしまうと、ドタバタしながら桐山に朝食を用意して、戸締りだけよろしくと家の鍵を渡してあかりも、ひなたも出かけてしまう。
そして、鍵を前田吟演じる三姉妹の祖父の経営する和菓子屋に返しに行くと、祖父は将棋に詳しくいきなり歓迎ムード。
その晩またしても、あかり姉妹の世話になる桐山。
・・・ってこんな、家族いねぇよ!!
ひなた曰く、「お姉ちゃんは、ヒョロヒョロの痩せた人を見るとほっとけない」らしいが、どんな女やねん!
これは、漫画なら許されるかもしれないが映画は人間が演じてるわけで、こういう細かいところがこんなセリフ一つで片付けられても、納得はいかない。
これが、世紀末の世界の終わりでほぼ人間のいない世界などで、助け合う為にという設定ならまだしも、この作品は現在の現実の世界が舞台だ。
どんだけ、神木隆之介が可愛い顔してるからってゲロまみれで道端に高校生が倒れていたら、家に連れていくより、警官を呼びなさいよ。
そして、有村架純演じる香子が桐山を虐め倒すが、とても優しい義理の父の娘が、あそこまで歪んだ根性悪になってしまうのだろうか?
将棋の英才教育がそうさせてしまったのか?
しかし、豊川悦司演じる義理の父・幸田とその妻を見る限り、ちゃんとした両親に見える。
幸田が、実はロリコンで自分の娘にも手を出していたとかなら、まだ分かるが特に何故にゆえにあそこまで歪み腐って育ってしまったのかは語られない。
この作品の前に紹介した記事の映画は、マーティン・スコセッシ監督の「アイリッシュマン」だったがジャンルは全く違うので比べるのはおこしいが、あちらは一人一人の主要人物のキャラクターを203分という時間を使って丹念に丁寧に描いていた。
こちらは、それよりも長い時間を使ってるにも関わらず、この有様だ。
漫画原作の映画化が、未だに多く制作されている昨今。
制作者側の漫画原作のファンによせた作品にするべきか、映画ファンによせた作品にするべきかの葛藤はついて回る物な気がする。
筆者は、あまり漫画原作の映画は見ないので比べる事は出来ないが、どの作品もどちらのファンからも賛否両論で手放しで評価される作品はあまり聞かない。
この作品も、興行的に見るとあまり芳しくなかった様だ。
アニメやマンガが、より一層日本の誇るべき文化になりつつある中、邦画は昔のように誇れるものではなくなってきている。
今では、マンガやアニメの力を借りなければ日本の映画界は成り立たないのが現状のようだ。
このまま、自立できないまま漫画原作におんぶに抱っこのままではきっと邦画に明るい未来はない。
まだこの先も、漫画原作ものは作られていくのだろうが、あまり期待はできないと筆者個人は思ってしまう。
量産と興業に力を入れる事も大切だが、もっと質にこそ一本一本の作品に込めるべきだ。
でなければ、この作品に関わったスタッフ、キャスト、そして観客に失礼だ。
なかなか、今の邦画界ではそれも難しい事なのかもしれないが、映画ファンとしては怒りを感じれずにはいられない。
長々と怒りに任せて書いてしまい、申し訳ありません。
そして、この映画のファンの方がもしこの記事を読まれて不快な思いをさせてしまったら、すいません。