私の映画人生記〜植木等「日本一のホラ吹き男」〜
1年以上書かずに放っておいたブログですが、自分の人生において映画というものがどれだけ大きな存在かを振り返ってみたいと思います。。。
最近、自分の部屋の掃除をしていて昔のVHSが出てきた。
そのVHSを再生すると、自分と全く同じ顔をした3歳の子供がテレビに映る歌手をマネて、おもちゃのマイクを握りしめて熱唱をしている。
それが、現在(2021年)32歳の私だ。
3歳の私が、何を熱唱しているかと言うと・・・。
「ふざけやがって、ふざけやがって、ふざけやがって、コノヤロー!!
泣けて。。。く〜るぅ〜!!!」
「ハイ、それまでよ」
いや、どんなガキだよ・・・(笑)
当時、私のヒーローは「ジュウレンジャー」や「ドラえもん」などではなく「植木等」。
高度経済成長期のサラリーマンの悲哀を明るくコミカルに笑い飛ばす歌詞の意味なんか
平成元年生まれの当時3歳児に分かるわけがない。
でも、ステージの上を縦横無尽に満面の笑みで歌い踊るおじいさんのパワーに私は魅了された。
1990年に植木等がハナ肇とクレージーキャッツのヒット曲を集めたメドレー「スーダラ伝説」がヒットし、紅白歌合戦にも久しぶりに登場した。
子供にありがちな事だが、一度ハマると何度も見たりするわけだが
当時のことを親が振り返り、「植木等で、お前の人生は狂った」と言われるぐらい
私は、幼稚園に入園しても友達や先生の前で「スーダラ節」や「無責任一代男」などを歌っていた。
周りの友達は、「サッカー選手」や「パイロット」に憧れる中、私は将来「植木等」になると
決めていた。
当時は、今よりもテレビで新作だけでなく古い映画などもよく放映されていた。
夜中には、B級映画や隠れた名作などが流れていた。
ある日、親父がたまたまVHSに録画したものを見ると、そこには若い頃の植木等が
体操着を着てグラウンドを満面の笑みで
「はぁ〜〜〜あ〜〜〜
あの日、ローマでながめ〜た月が〜
今日は、都の空照らす・・・」
歌う姿が映し出されていた。
そう、それは植木等ファンの方にはもうお分かりだろう。
そう!!
だ!!
1964年の映画で、ハナ肇とクレージーキャッツのメンバーだった植木等の全盛期だった頃に作られた「日本一シリーズ」の第2作目。
監督 古澤健吾
脚本 笠原良三
キャッチコピーは「責任を持ってホラを吹き、みんなまとめてメンドウみたよ!!」
1964年と言えば、東京オリンピックが開催された年。
そんな年に制作された映画ということもあり、植木等が演じる初等(はじめ・ひとし)は、
大学陸上の三段跳びの選手で、オリンピックに出場候補になっていたが怪我をして挫折するが
自分の先祖がホラで浪人から大名にまで成り上がった人物だったということを知り、
奮起して就職活動を始め、ホラを武器に出世も結婚も全て手に入れていってしまう。
植木等は、今もこれからも元気付け、勇気をくれる、私にとっては誰よりもかっこ良いヒーローなのだ。
3歳児の私の人生を狂わしてしまった植木等に魅了された私は、「日本一のホラ吹き男」をテープが擦り切れるまで見たことにより、映画というものにも魅了されて行くのだった。
つづく。