映画徒然日記Vol.21「イコライザー2」
「イコライザー2」監督 アントワーン・フークア
キャスト デンゼル・ワシントン、ペドロ・パスカル、ビル・プルマン
前作を、一年ほど前に見ているはずなのだが全く覚えていなくて、10分ほど見て「あれ?これ、見たな・・・」と思い、2を鑑賞。
前作を見ていなくても、支障はないが前作で序盤、冴えないホームセンターで働いてるおっさんが実はめちゃくちゃ強い無敵の殺し屋でしたって言う驚きを味わってから見た方が良いかも・・・(見た事を覚えてないお前が言うな‼︎)。
今回は、オープニングからトルコの列車に乗っているところからスタートで、殺し屋の空気満載で登場。
前作をあまり覚えてないので、前作と比べられないが、アクションというジャンルにしては派手なアクションシーンはラストの対決シーンぐらいでそこまでは人間ドラマという感じで進行していく。
監督のアントワーン・フークアとデンゼル・ワシントンのコンビは、2001年の「トレーニング・デイ」からのコンビ。
「トレーニング・デイ」では、デンゼル・ワシントンが珍しくなかなかの残酷なキャラクター、悪徳警官を演じていて、印象的な演技をしていた。
「トレーニング・デイ」で、アカデミー賞主演男優賞をデンゼル・ワシントンが受賞している。
その後も、黒澤明の「七人の侍」のリメイクであり、「荒野の七人」のリメイク「マグニフィセント・セブン」でまたコンビを組み、「イコライザー」へ。
「イコライザー」の続編を考えていることをアントワーン・フークアはインタビューで答えてらとこのことで、またこのコンビの最強無敵オヤジを観れるのが楽しみだ。
映画徒然日記Vol.20「マーニー」
「マーニー」 (1964・アメリカ)
音楽 バーナード・ハーマン
キャスト ティッピ・ヘドレン、ショーン・コネリー
何年ぶりかのお久しぶりのヒッチコック作品。
こちらは、動物パニック映画の原点「鳥」のあとに撮られた作品。
ヒッチコックの中では、後期の作品になる。
正直、う〜ん・・・って感じの作品だった。
「鳥」の前が、「サイコ」その前が「北北西に進路を取れ」その前が「めまい」とヒッチコックがノリに乗りまくっていた中期からの「マーニー」は、グンと評価が下がる。
いかんせん、役者の演技が古臭いというのもあるし(ヒッチコックの演出に問題あり?)主人公の設定が子供の頃のトラウマから盗みを働く女と言う設定があまり上手くストーリーを牽引できていない。
それに、登場人物に対して魅力を感じられる人間が居ない。
マーニーと、主人公の名前をタイトルに冠しているのに、マーニーにはめちゃくちゃ腹が立つし、マーニーの事をとことん守ろうとする男・マークの行動にも疑問が多すぎる。
この後のヒッチコックの作品も、凡作な物が増えていってしまうのが、とても悲しい。
オープニングクレジットで流れる音楽を聞いて、一発でバーナード・ハーマンが音楽を担当しているだろうなと分かるが、この次の作品「引き裂かれたカーテン」で意見の対立から残念ながらヒッチコックとハーマンは袂を分かってしまう。
なので、ヒッチコックの作品の大きな要素の一つとなっていたハーマンの音楽は、「マーニー」で最後になってしまった。
そういう意味では、とても貴重な作品なのかもしれないが、他は特段注目する様な事はないような気がする。
ショーン・コネリーがスーツ姿で登場すると、どうしても「ボンド、ジョームス・ボンド」って言うんじゃないかと思ってしまう。
映画徒然日記Vol.19 「ハードエイト」
凄まじい台風が吹き荒れています。
甚大な被害が、全国で起こっております。
こういう日は、もうまんじりともせず家で映画でも見てるのが一番利口だと思っております。
「ハードエイト」(1996・アメリカ)
監督/脚本 ポール・トーマス・アンダーソン
キャスト フィリップ・ベイカー・ホール、ジョン・C・ライリー、クヴィネス・パルトロー、サミュエル・L・ジャクソン、フィリップ・シーモア・ホフマン
台風と全く関係ない映画。
世界三大映画祭(カンヌ・ベルリン・ヴェネツィア)の全てで監督賞を受賞している、
ポール・トーマス・アンダーソンの、こちらはなんとデビュー作。
PTAのデビュー作というだけの、予備知識のみで鑑賞したがストーリーは
PTAらしく二転三転とどこへ向かっていくのだろうかと思わされる展開。
タイトル前のカットなどが、シンメトリーだったりと
やたら、カメラのパンが早かったりと
PTAの独特のカメラワークもこの頃から健在だ。
PTAの作品の多くは、孤独感だったり、疑似父子の関係を描いているものが多いが
デビュー作から、テーマも変わっていない。
サミュエル・L・ジャクソンのチンピラ役が、相変わらずの板のつき方に
ある人物を恐喝するシーンでは、思わずニヤリとしてしまった。
そして、1シーンのみの出演だったが
フィリップ・シーモア・ホフマンも登場している。
1シーンだけなのに、イケ好かねぇ感じを強烈に感じさせてくれた。
フィリップ・ベイカー・ホールが、主演を務めているだけで
渋い作品になってしまう。
もう、この人の顔の皺からハードボイルドの雰囲気が溢れ出している。
この作品を見て、一気にファンになってしまった。
映画徒然日記Vol.18「健さん」
邦画を代表する俳優というと皆さんは、誰を思い浮かべますか?
48回寅さんを演じた渥美清。
まぁ、あげりゃキリがない。
でも、皆さんの頭に過った人って
やっぱりこの人じゃないですかね?
2014年11月10日。
高倉健の訃報をテレビのテロップで出た時。
現実かどうか分からないぐらい、驚いた。
もう、23年も前になるが
渥美清が亡くなった時も同じような驚きを子供ながらに感じた。
こんな想いにさせられたのは、この2人の俳優だけだ。
そんな、健さんという愛称で愛され続けた国民スターの生前の姿を、映画関係者や家族の話を通して追っていくドキュメンタリー。
健さんと生前、チャン・イーモウ監督の「単騎、千里を走る」で共演したチュー・リンが健さんの馴染みのある場所を訪れて、健さんに触れると言う擬似ドキュメントな側面があるが、正直要らない。
構成と演出がひと昔前というか、テレビ的な演出で、ドキュメンタリー映画と言うより、NHK辺りで特集を組んだドキュメント番組のようだった。
降旗康男、山田洋次、梅宮辰夫、八名信夫、マイケル・ダグラス、ジョン・ウー、ポール・シュレイダー、ヤン・デ・ボン、マーティン・スコセッシと健さんと関わりがあったり、尊敬の念を持っている、今も映画界を支えている錚々たる人々にインタビューをしているにも関わらず、この出来は勿体ない。
しかし、それぞれのエピソードは今まで聞いたことないエピソードや健さんの違った一面が見れたのは、とても貴重で興味深く見た。
コミカルな悪役を得意としていた八名信夫は、健さんと何度も共演し、健さんに300回以上殺されたらしい。ある時悪役の役者たちに対して「殺されに行く面構えでやっていたろ。最初から殺されに来てどうする。殺しに来る面構えでやれ」と全員を叱ったと言うエピソードを話していた。
こういう、細かい所こそ映画には大事なのだ。
今、こんな事を意識して演技をしている役者が何人いることか・・・。
自分に厳しく、ストイックで、映画を心から愛し、映画に生涯を捧げられる俳優は、もう生まれないかもしれない・・・。
「健さん、ありがとう」
映画徒然日記Vol.17 「ジョーカー」
本当に、今年は映画豊作年のような気がする。
ここのブログでは、紹介していないが
「存在のない子供たち」
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」
など、10年に一本と言っても良いぐらいの作品が目白しだったが・・・。
遂に、10月4日。
この作品が、公開された。
「ジョーカー」
監督 トッド・フィリップス
脚本 トッド・フィリップス、スコット・シルヴァー
キャスト ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フロンセス・コンロイ
この作品見るの正直、迷った。
「ジョーカー」というキャラクターは謎
に包まれているからこそ魅力的なキャラ
クターだったと思っていた。
この作品ではジョーカーの誕生を描いて
いるのだ。
まさに、パンドラの箱的な開けてはいけないものを開けるような、
知りたいけど知りたくないような複雑な気持ちと高鳴る気持ちで劇場へ。
結果・・・。
とても、素晴らしかった。
喜劇王チャップリンが大きなキーワードの一つで、劇中ではチャップリンの「モダン・タイムス」の映像が映画館で流されていたり、予告編でも印象的に流れるチャップリンが作曲した「SMILE」がこの映画のテーマ曲になっていたり
チャップリンの名言で
「人生はクローズアップで見ると、悲劇。ロングショットで見ると喜劇」
という名言を映像化したような作品なのだ。
これでもかと現実の悲劇に圧し潰され
て、狂気に目覚め現実を喜劇へと変えて
いく主人公アーサー。
誰にでも、持ち合わせている感情をアーサー=ジョーカーは爆発させる。
誰にでも持ち合わせているという事は、誰しもがジョーカーになり得るのだ。
だから、「ダークナイト」のジョーカーもとても魅力的に見えて、主人公であるはずのバットマンよりもジョーカーに観客は魅了されてしまう。
純粋な悪ほど怖いものはない。
純粋で、狂ったジョーカーにもはや敵なし。
散々に目に合う主人公が、ジョーカーという純粋な悪になった瞬間、思わず観客にはどうしようもない高揚感が舞い降りる。
これは、劇薬のような映画だ。
映画のベースには、マーティン・スコセッシの「キング・オブ・コメディ」と「タクシードライバー」が脚本を書いていくうえで参考にしたらしい。
どちらの作品でも、主演を務めるロバート・デ・ニーロがこの作品にも出演をしているのはそういう縁もあってなのかもしれない。
「キング・オブ・コメディ」と「タクシードライバー」がベースになっているとのことだが、筆者は見ていてスタンリー・キューブリックの「時計じかけのオレンジ」とも通じる作品のような気がした。
「時計じかけのオレンジ」の主人公アレックスも、まさしく純粋な悪だ。
映画内で行われている、ヴァイオレンスに最初は目を背けているのに
気付くとアレックスの立場になって中盤から映画を見ている自分が居る事に気付く。
そんな、気持ちに「ジョーカー」にも感じさせられた。
ジョーカーと言えば、昔は
ティム・バートンの「バットマン」でジョーカーを演じた、ジャック・ニコルソンが代名詞であり、その後クリストファー・ノーランが、「ダークナイト」でジョーカーにヒース・レジャーを起用した。ジャック・ニコルソンのジョーカーの強烈なイメージを見事に一新し、新ジョーカーをヒース・レジャーは誕生させた。しかし惜しくも、ヒース・レジャーは「ダークナイト」の完成を見る事なくこの世を去ってしまう。
そして、今回ジョーカーを
ホアキン・フェニックスが演じる。
ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャーの2人とはまた違う、狂気と哀愁を漂わせたジョーカーを誕生させた。
この作品のほとんどは、演出やシナリオの完成度よりも、ホアキン・フェニックスの演技力が全てを引っ張って行ってる。
「ダークナイト」の様に、派手なアクションシーンはないが、人間ドラマとしてしっかりと見応えがあるものになっている。
映画徒然日記Vol.16「少年」
久しぶりにこんなに映画を見ている気がする。
ってことは、久しぶりにこんなにブログも書かねばならない・・・。
「少年」(日本・1969)
監督 大島渚
脚本 田村孟
去年、第71回カンヌ国際映画祭にて是枝裕和監督の「万引き家族」が
パルムドールを受賞した。
ちょうど、今から50年前に撮られた「少年」は
「万引き家族」を撮る際に参考にして是枝監督はシナリオを書いたのではないかと思う
ぐらい共通している。
これは、筆者の勝手な推測ですが・・・。
「万引き家族」は、タイトル通り万引きで家計をたてている家族の物語。
「少年」は、当たり屋をしながら旅をしている家族の物語。
1966年、大阪府西成警察署に高知県出身の当たり屋夫婦が逮捕された。
当時、当たり屋は珍しいものではなかったが、この夫婦は自分たちの子供にも
当たり屋をさせていたという事で当時話題になった。
この事件に、衝撃を受けた大島渚は脚本家の田村孟とともに取材を行い脚本を書いてい
った。
大島渚という監督は、当時問題作を年に2~3本撮っていた監督だった。
撮る作品には、かなり政治的思想を強く反映させたものが多く
当時の過激思想を先導した監督と言うイメージが強い。
しかし、この「少年」に関しては政治的思想が弱まっており
淡々と当たり屋とその子供の姿を全国縦断しながら見せていく。
当たり屋を行う事を、最初は嫌がっていた少年が生きていく為に行っていく姿を
真っ直ぐに映し出している。
ドラマと言えるものはないのだが、少年を演じた阿部哲夫の土佐弁交じりの口調と純粋
さに生きてほしいと切に願ってしまうのだ。
阿部哲夫は、実際は養護施設で育った子供で「少年」公開後に養子の申し出があったが
本人は断ったらしい。
そして、この作品を最後に俳優業からは縁を切ったという。
この主人公同様、彼自身にも複雑な家庭環境から出たものがこの「少年」という作品に
鮮烈に映し出されていたような気がする。
決して、表情が豊かな子ではないが、それが尚更普通の家庭環境で育った子供では見せ
れない表情をするのが見ていてとても狂おしく胸が痛んだ。
現代でも、毎日のように親からの虐待により子供が傷つけられているニュースを見かけ
る。
この「少年」のような「少年」、「少女」たちが現代でも
私たちの知らない場所で強く生きようとしているのだろう・・・。
50年前に、このような作品を作った大島渚。
恐るべし・・・。
映画徒然日記Vol.15 「二つ目の窓」
私の趣味は、「映画鑑賞」なのだが
もう一つ、「旅行」という物も一応ある。
一応というのも、最近趣味とは呼べなくなってしまうぐらい
「旅行」に行けていないからだ。
何故行けていないかと言うと、まぁよくある理由で
「仕事が忙しいから・・・」
現実逃避的で
「あ~どこか遠くへ行きたい・・・」
などと、甘ったれた想いにかられながらも、現実は遠くになど行けるほど
時間がない。
そんな時、「映画」は時として「遠く」へ連れて行ってくれる。
例えば、「寅さん」などが良い例ではないだろうか?
・・・と、ここまで書いていて前振りが長くなってしまった。
まぁ、単純にこの作品のパッケージを見て
何か、遠くへ連れて行ってくれるかもしれないと思わされたので手にしてみた。
「2つ目の窓」(2014/日本)
監督・脚本 河瀬直美
キャスト 村上虹郎、吉永淳、杉本哲太、松田美由紀、渡辺真起子、村上淳、常田富士男
上に書いたような、現実逃避で見たつもりが
やはり、河瀨監督作品だけあって
現実逃避どころか現実を見せられた感じだった。
この作品を見ていて、思い出したのは今村昌平監督の「楢山節考」ととても似ている作
品だなと感じた。
こちらの舞台は、奄美大島。
「楢山節考」は、寒村を舞台にしている。
それぞれ、真逆の舞台ではあるが描いているテーマは
「生と死」
「性について」
「2つ目の窓」は、奄美の海をバッグに静かに死を見つめて、生きる事を感じる。
「楢山節考」は、山奥で暮らす人々と植物や虫などの生を見つめ、死ぬとはという事を
考えさせられた記憶がある。
河瀬監督の作品は、今作と「殯の森」、「あん」を拝見しているが
特に、「殯の森」については奈良の自然の中で生きながら死を描いていた。
河瀬監督は、奈良出身で今も在住しているとのことで
河瀬監督にとって、奈良と言う地は映画を撮る上でも、生活の上でも大きいものである
ようだが、この作品ではあえて奈良ではなく、奄美で撮影を敢行した。
「私が今までにやってきた生と死の関係の表現、土地と自然、人間関係が奄美の文化によって表現されていると感じたのです」
河瀬監督は、奄美に初めて訪れた際にそう感じたとインタビューで答えている。
その後、春夏秋冬で奄美を訪れ探索し、それから1か月で脚本を仕上げたとの事。
奄美の美しい自然も、この作品の特徴だが
役者たちの演技がとても印象的だった。
村上虹郎に関しては、これがデビュー作。
村上虹郎演じる界人の母親と離婚して、今は東京で暮らす父親役を実際でも親子である
村上淳演じている。
実際に、村上淳は離婚しており役と実際の共通しているところも多く
なぜ、離婚したのかという疑問を投げかけるシーンまで登場する。
このセリフのやり取りは、河瀬監督が撮影の直前に村上虹郎に「離婚」についてのセリ
フの指示を出したのだそうだ。
それに、アドリブで答える村上淳。
河瀬監督、もう意地悪すぎますよ・・・。(笑)
こんな感じで、撮影はどこまでも現実を投影させながらしているからか
役者たち全員が、実際にそこで暮らす人々に見えるのだ。
役者たちに、実際に奄美で生活をさせてそこでの生活を染み込ませる方法で
キャラクターを作っていく河瀬監督の現実の追及には驚かされる。
そのおかげもあってか、村上虹郎と吉永淳の「目」がとても素晴らしくかった。
何かを秘めたようなあの目つきが、様々を物語っていて台詞を吐くことで語るのではな
く、こちらが何かを感じさせられてしまった。
「映画づくりにおける様々な奇跡が起こりました。撮りたいという私自身の欲望というよりは、撮る役割をいただいている。と感じていました」 by河瀨直美
久しぶりに、邦画で監督の魂と役者魂のようなものを見せてもらえた気がした一本だった。